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声優の専門学校に通いプロの声優になりたい 第3話

2019年09月18日
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声優の専門学校に通いプロの声優になりたい 第3話

大人の事情で4度も児童養護施設を転々とした私
辛くても 悲しくても 裏切られても
私は負けない 
だってこれが私だから This is me

【声優の専門学校に通いプロの声優になりたいプロジェクト】

目標金額: 732,000 (スクール費用、家賃1年間分が含まれます)
詳細につきましてはクラウドファンディングページに載せる予定です。本人と設定した金額となります。

関根ひろみの本気の挑戦が始まります。(クラウドファンディングページはこちら
※こちらの投稿につきまして、本人の了承を得て投稿をさせていただいております。

〈私の生い立ち〉
託児所 (3歳の頃)

一時保護所(3歳の頃)

児童養護施設(4歳の頃/幼稚園 年中)

児童養護施設(5歳の頃/幼稚園 年長)

家(5〜7歳/幼稚園 年長〜小学2年生)

一時保護所(7歳/小学2年生の頃)

児童養護施設(7〜14歳/小学2年生〜中学2年生)

家(14歳/中学2年生)

一時保護所(14歳/中学2年生)

児童養護施設(14〜17歳/中学2年生〜高校3年生)

アメリカ(18歳/高校卒業後)

現在(20歳/夢に向かって)

 

大人によって人生を狂わされた私

だからこそ心の中にどんなことも跳ね返す強いバネが備わった

夢を叶え同じ環境下の子供たちに希望の光を見せてあげる

 

彼女の生い立ちを一部ご紹介致します。

前回のつづきからとなります。
前回の記事はこちら

【彼らの家】
中学2年生の時、転校早々に虐められるようになりました。
失うものがない私は、虐めていたグループのリーダーを引っ張り出し一方的に言いくるめました。
翌日、学校へ行くと虐めがパッタリと止んだのです。

ある日、リストカットをしていることが女にバレてしまいました。
女と口論になり包丁を突きつけてきたのが記憶に残っています。

私は女に「もうこんな生活は嫌、施設に戻りたい」と伝えました。
もうどこにいても辛かったので、施設の方がまだましだと思いました。
女に伝えた後、私はお風呂に入りました。
少しすると男が酔っ払って帰宅しました。
男が女から施設に戻りたいという話しを聞くと、顔色を変え、怒鳴りながら、お風呂場に近づき、ドアを力一杯蹴ったのでした。
ガラスのドアは割れ、ガラスの破片がお腹に突き刺さりました。

【ふただび一時保護】
保護される前に男に言われた言葉を今でも覚えています。

「二度と顔見せるな」

この言葉の背景には、辛くて、悲しくて、死にたくなるようなことを、この男にさせられていました。

私の人生の中で逃げることを許してくれません。
一時保護中も、保護所で担当の職員とたくさん喧嘩をしていました。
もう誰も信じられなかったからです。
大人が言ってることは全部嘘だと決めつけていました。
誰も子供のことなんて本気で考えていないと思っていました。

【4度目の児童養護施設】
3の最後の年は、受験も控えていて志望校には誰もが受からないと決めつけていたようでした。
信じられるのは自分だけ、自分だけを信じ勉強に励みました。
そして志望校に無事合格することができました。

入学したのはよいが、学校生活にも馴染めず、表面だけの友達付き合いをしているようにしか思えなくなりました。
また担任とも揉めることが多くなりました。

私は大人というのは自分勝手で汚くてすぐに裏切る生き物だと思っています。
私はこの時、生徒を代表して大人に対して不満を伝えられる立場になろうと考えました。
ですので学級委員になったり、文化祭実行委員にもなりました。
私が発案した文化祭の出し物は、一般市民投票で学年1位となりました。
担任もこの時ばかりは、自分が賞を獲ったかのように喜んでいたなと記憶しています。
その頃から私は施設で生活している事をクラスのみんなに隠すようになりました。
親がいないというだけでなんだか負けている気がしたからです。
虐待児だという事、生き別れた家族がいる事、全部がコンプレックスとなり押し寄せてきました。
当時は本音で話せる人がいませんでした。

【信頼できる人との出逢い】
私が転機を迎えたのは彼に出会ってからです。
児童養護施設のプログラムで関東の高校生を対象に海外研修があるという話を聞き、私はそれに参加しました。
海外には行った事がなかったし、自分の知らない世界を見てみたいと思ったからです。
海外研修は毎年やっているそうで、私のいる施設でも数名が参加していました。
アメリカの一般家庭に1週間家族の一員としてホームステイして、海外の文化や生活を学ぶというものでした。

私を迎え入れてくれたホームステイ先はとても優しく温厚な家庭でした。
常に私の様子を気にしてくれ、話しかけたそうにうずうずしていました。
私はそれが少し嫌でした。
偏見ですが、アメリカ人ならもっと積極的でダイナミックに絡んできてくると思っていたからです。
ですが彼はおっとりしていて、とても心配性でした。
私が今まで出会って来た大人とは全く異なり、困惑してしまいました。
私が見てきた大人は自分勝手で薄っぺらくてすぐに怒鳴って殴るような人達です。
泣いても誰も助けてくれず、大事なものばかりを奪っていく人達です。
そんな複雑な気持ちを抱えたまま、海外研修も終わりに近ずいた土曜日のことでした。
ホストファミリーが主催するホームパーティーに参加しました。
ですが空気感に馴染めず、そんな私をみんなが気を使ってくれるのでした。
そんな行動に耐えられず、私は途中で退席してしまいました。

私にとって彼らはあまりにも優しすぎました。
初めて知る景色で眩しすぎてこんな家族が世の中にはいるんだと思いました。
どんどん自分が生きてきた人生が悔しくて悲しくなりました。

部屋に戻り少し経った時、ノック音がして部屋の扉が開きました。
そこにいたのは彼でした。
ホームパーティーを抜けて、心配して来てくれたのです。
そして彼は私の隣に座り、つたない日本語で懸命にどうしたのと私に訪ねてきたのです。
私は彼の誠実な行動に涙が止まらなくなりました。
このアメリカ研修は、笑顔でやりきっていつも通り楽しかったなで終わるはずでした。

ホストファミリーに迷惑をかけてしまい、ホームパーティーを台無しにした私を彼は優しく抱きしめてくれました。
突然の事に踊ろきましたが、私のことを家族の一人としてみてくれているのだと思いました。
研修の最終日、私はホストファミリーに初めて家族がいない寂しさを伝えました。
同情が欲しい、家庭が欲しいことなど、包み隠さず話してしまいました。

【私の大切な家族】
日本に帰国してから後日後のことでした。
彼が私に会いに日本に来てくれたのです。
私は驚きが隠せませんでした。
彼は通訳者として古くからの知り合いである日本人の女性を紹介してくれました。
通訳として知り合った彼女も、今では私にとっては心の支えになってくれています。
彼は私のことを娘だと言ってくれた。
そして家族なのだと言ってくれました。

あの時に私が流した涙と、私が伝えた気持ちが彼のこころを揺れ動かすキッカケとなったそうです。
アメリカには人助け、支え合うと言う文化が根強いと聞きます。
しかし、彼のように異国の人間を家族のように支えてくれるのは珍しいそうです。
書類上では家族関係にはなれないが、心の中では家族なのだと長く付き合うようになって思うようになりました。

私は17歳で施設を出て1人暮らしを始めました。
父の希望もあって、1年遅れて高校を卒業した私はアメリカに留学する事にしました。
父にはプロの声優になるたには役者の勉強もしないといけないことを伝えました。
アメリカで暮らすという事になり、父と母は喜んでくれました。
予定では5年間の滞在を予定していました。
ですが、5年間の語学を学びながら役者の勉強をするのは遅すぎるのではないかと感じてきました。
遅咲きや役に年齢は関係ないという人もたくさんいましたが焦りだけが先行してしまいました。
今活躍している声優は子供の頃からキャリアを積んでいます。
本当に光るものがない限り、年齢は自身の重りにしかならないことも知っていました。

それからクラスの生徒達のモチベーションの差にも愕然としてしまいました。
私は両親の気持ちに応えたいという理由もあり、アメリカで学ぼうと思い来たわけですが、周りはキャビンアテンダントになるために来た人や、大学を卒業したが世界で自分の価値を確かめたくて実費で来た人、そんな人たちと一緒に勉強している自分がとても情けなく思ってきました。
私は両親に甘えるために、愛・家族を感じるためにアメリカに来たように考えるようになりました。

そんな浅はかな考えだったものだから、勉強が身に入らなくなってきました。
こんな調子では周りの人に迷惑でしかないと思った私は、その気持ちを父に伝えました。
父は私のわがままを受け入れてくれました。



【日本に帰国】

私は名古屋に住むことに決めました。
理由は関東以外の暮らしがどんなものかを経験したかったからです。

父に出会って自分と向き合うようになって、世界がずっとずっと広いことに気づきました。
名古屋では、社会というものを学びました。
就活や実際に営業をすることもできるようにまで成長しました。
生活にも慣れていき、もう一度、声優になるための計画を立てました。

【男からの手紙が私を狂わす】
20歳の1月に、人生を狂わされた男から一通の手紙が届きました。
なぜ私の住んでいる住所を知っているのか、また人を信用できなくなりました。
中学の時に分かれて6年も経っていた手紙の内容とは、「分籍してほしい」これだけの内容でした。

一言でこんなにも心を掻き回されるのかと気が狂いそうになりました。
住んでいる所在地が知られていることへの恐怖だけが先行して、逃げてしまいました。
職場を紹介していただた方に対して、本当に罪悪感でいっぱいであったが、
それよりも恐怖心が勝ってしまいました。

【私にできること】
感謝と申し訳なさをたくさん詰めて私は東京に戻って来きました。
もう一度、夢を叶えたいと思えるようになりました。

手に溢れる沢山の宝物と出会った人たちの応援を抱えて今の私がいます。
もうこれ以上自分が悲しまないように、もうこれ以上私のような子を増やさないように私は夢を叶え同じ環境下にいる子ども達の光となります。

そう私は今を生きています。

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